地元暮らしをちょっぴり楽しくするようなオリジナル情報なら、大阪市中央区の地域情報サイト「まいぷれ」!
文字サイズ文字を小さくする文字を大きくする

大阪市中央区の地域情報サイト「まいぷれ」大阪市中央区

民生委員制度は創設100周年を迎えました

民生委員制度創設100周年

民生委員制度創設100周年シンボルマーク

民生委員制度は、前身となる方面委員制度が大正7年(1918年)に大阪の地で誕生してから、平成30年(2018年)に100周年を迎えました。

100周年を記念してさまざまな取り組みを行いました。

中央区民生委員児童委員パネル展

平成30年5月8日(火曜日)~18日(金曜日)中央区役所1階ロビーにてパネル展を行い、多くの来庁者にご覧いただきました。

中央区民生委員児童委員パネル展の写真1
中央区民生委員児童委員パネル展の写真2
中央区民生委員児童委員パネル展の写真3

民生委員児童委員の日

懸垂幕の写真

4月20日(金曜日)~5月18日(金曜日)に区役所前と区内15か所のOsaka Metro駅広報掲示板に民生委員児童委員紹介のポスターを、5月8日(火曜日)~18日(金曜日)に懸垂幕を掲出しました。

街頭啓発キャンペーン

街頭啓発キャンペーンの写真

5月12日(土曜日)民生委員児童委員の日に、ライフ堺筋本町店店頭にて啓発物品の配布を行いました。

一日民生委員

一日民生委員の写真

10月21日(日曜日)なにわの宮跡公園にて行われた区民まつりで「一日民生委員」行動を実施しました。

一日民生委員活動の写真

中央区長が「一日民生委員」として民生委員と一緒に民生委員活動や子育てサークルのPRに取り組みました。

あいさつの写真

区長・会長ごあいさつ

 

民生委員児童委員及び主任児童委員とは

中央区では、13地区119人(平成30年7月現在)の民生委員児童委員、主任児童委員が地域の身近な相談者、支援者として積極的に活動しています。

活動

民生委員は、民生委員法に基づき、厚生労働大臣から委嘱された非常勤の地方公務員で、給与の支給はなく(無報酬)、ボランティアとして活動しています。

すべての民生委員は、児童委員も兼ねており、地域の第一線で、あらゆる生活上の相談に常に住民の立場に立って援助するとともに、高齢者や子育て世帯への見守り活動を行うなど、地域課題の解決に重要な役割を果たしています。

また、主任児童委員は、子育てを社会全体で支える「健やかに子どもを産み育てる環境づくり」を進めるために、平成6年1月に制度化されました。

主任児童委員は、子どもや子育て家庭への支援を専門に担当する民生委員・児童委員です。

児童福祉関係機関と区域担当民生委員・児童委員との連絡役となって、協力して活動しています。

民生委員制度の歴史

方面委員制度の創設

大正7年(1918年)、第一次世界大戦後の厳しい状況のなか、富山県で発生した米騒動が大阪にも波及し、生活は極めて厳しい状況でした。
そのような中で、救貧を目的とした方面委員制度が、林市蔵(はやしいちぞう)大阪府知事により創設されました。
方面委員の「方面」とは「地域」を表します。各委員には、それぞれが一定の区域を担当し、訪問調査を通じて世帯状況を常に把握し、生活困窮等で支援が必要な人は迅速に救済機関につなぐという役割を担いました。
この制度が全国に普及することとなり、現在においても民生委員活動の中心として引き継がれています。

夕刊売り母子の挿話

大正7年(1918年)秋の夕暮れ、現在の大阪市中央区にある理髪店で大阪府の林市蔵知事が散髪をしていました。鏡に写る街の風景を見るともなしに見ていた林知事は、ある一点に釘づけになります。それは、40歳くらいの母親と女の子が夕刊を売る姿でした。
散髪を終えた林知事は、その夕刊売りに近づき、夕刊を1部買って話かけた後、その足で近くの交番に立ち寄り、この夕刊売り母子の家庭状況の調査を依頼しました。
後日、巡査から次のような報告があります。街角で見かけた母親は、夫が病に倒れ、3人の子どもを抱え、夕刊売りでやっと生計を立てているとのこと。子どもたちは、学用品も買えず、学校にも通っていません。
そのことを聞いた林知事は、自らの幼い頃の貧しい生活を思い起こすと同時に、このような母子は他にもいるはずだと考え、救貧・防貧の制度の必要性を痛感したのでした。

中央区とのかかわり

中央区には、民生委員制度創設にゆかりのある方々の史跡があります。

林市蔵知事像の写真



林市蔵知事像…夕刊売り母子挿話の中にある理髪店があったとされる中央区北浜にあります。

所在地…(中央区北浜4丁目 淀屋橋南詰・大川町公園

大正7年(1918年)に現在の民生委員制度の礎となる、方面委員制度を導入した大阪府第15代知事・林市蔵の功績をたたえて制作された記念像。「民生委員の父」とも呼ばれている。

理髪店から市蔵が見た貧しい母子が制度の出発点になったといわれ、像は和服で整髪中の姿である。

小河博士頌徳碑の写真



小河博士頌徳碑(おがわはくし しょうとくひ)…小河滋次郎(おがわしげじろう)氏は大阪府最高嘱託であり、林市蔵知事の協力者として制度創設に尽力されました。

所在地…(中央区中寺1丁目1番 大阪社会福祉指導センター向い

小河滋次郎は、文久3年(1863年)長野県生まれ。

大正2年(1913年)、大久保利武(おおくぼとしたけ)大阪府知事に「小河室」と称する政策検討機関を知事室の隣に設けられ、迎え入れられる。着任後、救済研究会を発足し、知事や社会事業家らと意見交換を行った。小河博士は貧しい地域を何度も見て歩き、現状の認識を新たにする。

そして大正7年(1918年)、林市蔵知事のもと「方面委員」制度を公布。現在の民生委員制度の礎を築く。碑の題字は元総理大臣清浦奎吾(きようらけいご)のものである。

方面委員制度から民生委員制度へ

昭和12年(1937年)には日中戦争が始まり、昭和16年(1941年)には太平洋戦争が始まりました。戦時体制が進み、国民は厳しい生活を余儀なくされました。
そうした中にあっても、多くの方面委員は、父親が出征中の家族や戦死者遺族の生活支援など、地域の実情に合わせて、住民に寄り添った支援を続けていました。

終戦を迎え、国民の多くが生活困窮に陥るなか、国としても緊急の生活支援施策を講じる必要があることなどを背景に、生活保護法とともに、「民生委員令」が昭和21年(1946年)に公布されることになり、方面委員は民生委員へと改められました。
民生委員とすることで、児童や母子、高齢者などの福祉をはじめ、広く国民生活全般の相談に応じる役割を明確にしました。

さらに、戦後の窮乏生活のなか最も深刻な影響を受けていた子どもたちを救うため、昭和22年(1947年)には、児童福祉法が公布されました。

この児童福祉法において、児童委員制度が創設され、民生委員が児童委員を兼任することとされました。

これからの民生委員制度

2025年には団塊の世代が全て75歳以上となるなど、より一層少子高齢化が進む中で、社会的孤立や貧困の世代間連鎖など、地域の課題は複雑化・多様化・深刻化してきています。
さらに、南海トラフ地震をはじめとする大規模災害の危険性が高まるなか、高齢者や障がいのある方、子育て世帯などの避難行動やその後の避難生活をどう支えるかは地域社会の大きな課題となっています。

そのような中、住民にとって最も身近な存在であり、地域のことに精通する民生委員・児童委員に求められる役割や期待は一層大きくなっています。
全国民生委員児童委員連合会の100周年を記念した新たなスローガンである「支えあう 住みよい社会 地域から」のもと、100年前と変わらぬ想いや情熱を守り続け、地域福祉の推進に大きな役割を果たしていただくことが期待されています。

詳しくは

民生委員・児童委員に関するQ&A(大阪市ホームページ)

見守り活動の手引き別ウィンドウで開く(大阪市社会福祉協議会ホームページ)

 

人気のキーワード